もう鰻は長い間、食べていません。希少になると食べてはいけないもののように感じます。価格も割に合わなくなりました。今では鰻は意識から滑り落ち、もっぱら手に入る大衆魚の中から今日の食材を求めます。
上下の階にお住まいの方に、おそらく物音はよく聞こえている、そんな構造の住宅です。分厚い床のマンションもあるという話ですが、何かあった時に異常が伝わる構造なのは安心でもあります。
自分に分からないことは、自分の世界の外と割り切らないこととします。分からないが存在し、後で分かるものがあります。理解したら大切なものだった、ということもあるのです。
昨夜、少し忙しくて余裕なく過ごした日の終わりに既視感を体験。これは偶然ではないのかも。既視感は、ただの頭の中の混線現象で、今のできごとが過去のことだと思えるのだとか。これを体験すると、私は私の持つ記憶の頼りなさを感じます。
夕べ、電話で話していた時、相手の方が操作を誤り、画面にその方が映し出されました。私の映像も伝わっていたでしょう。その映像では相手の方は寝そべって寛いでおられましたが「こんなだらし無い所を見せたくなかった」とのこと。スマホからの電話は片付い…
日常の会話では、同じ言葉で話していても、相手により受け取り方が異なる場合があります。おそらくその時の私たちの周りの様子や、言葉を聞いた時の相手の状態に依るのでしょう。意図しない解釈をされた時は気になり、その解釈を訂正したくなるほどですが、…
ある心理テストを受験しましたら、今の私は「お仕事 睡眠 笑顔 」を大切に思っているとのことでした。
当地では、また窓辺からの夜風が心地よい温度になりました。真夏とは違って乾いており、温度も低めです。
スマホに日々の実施事項や感想、出来ごとを記入するようになって半年が経過。代わりに今年の手帳の使用されないぺージが半年分できていることに気がつきました。今、来年の手帳を新規購入したものかどうか考えています。
夕方前、立ち寄った店の中に居た時、ガラス窓の向こう側で人が立ち止まってこちらを見ていました。中を窺っているのかと思いましたが、帰りに同じ場所に立ってみると、外向きに求人票が貼られていました。
今日、実家のバルコニーで手すりから身を乗り出して下を見ると、家族が日曜大工をしていました。私が中学生だった頃、秋の休日に私が同じことをして、その時にも家族が何か作業していたことを思い出し、変わりなく家や家族のあることを私は喜びました。
寝室が面している路地には白色の街灯が点っています。大変明るくて、部屋のカーテンを開けておけば棗球を使わなくても室内が十分な明るさになります。
親子とは言え、別の世界を生きているようです。ある一人の長い生活に起こることには本人しか本当に関わることができない。私は昨日からこの辺りのことが気になっていて、ひとり確認しています。
言葉がなく、自らの体験を語れない動物は生まれてからずっと、自分の体験しか世界を持たないものか? どうなのかは分かりませんが、周りに個体がたくさん居て、同じ時代を生きているが、交差はしても、他の体験を知ることはほぼないように思われます。
寝る前に窓辺で静かな辺りの様子を楽しんでいると、町内の南西の方角に強く降る雨の音が現れました。音はだんだん大きくなり、雨は人が走るくらいの速さでこちらへ向かっているようでしたので、私は窓を少し閉めてそれを迎えました。
空気を取り込む小さな窓を通った風がカーテンを動かしながら吹き降りています。外は今日も晴れ、暑くなりそうです。
静かな1日の終わり。月が高い空で明るくなって来ています。家の荷物を一つ一つ調べて、不要なものを捨てたい気持ちはあるのですが、荷物を広げることが億劫で一向に実現しません。
近所の神社にある石の構造物を寄贈した人の名前が、その石に刻まれて伝わっています。遠い昔、江戸時代の人です。今日、私が読んだその文字を、私の居ない遠い将来の誰かも目にするのでしょう。
お正月休みに読みたい本が見つかりました。今回は一冊です。気がつけば、今年も三週間を残すばかり。私の所では現在、年賀状は買ってきたまま、来年の手帳はまだ購入していません。多分、ぎりぎりになって急いで年越し準備をします。
私のお気に入りだった尾根伝いのトレッキングコースから見える景色が、すっかり様変わりしていました。山道の直ぐそばまで住宅街が迫り、送電線を架けている鉄塔が、以前は山の上に立っていたものが、今では町の中に位置しています。
じっくりと生きていたら驚くほど時間が経過しており、他にしておかねばならないことや、したかったことは、またの機会に回さなくてはなりません。時間配分と優先順位を考える基準を人生でも確立させる必要があるようです。無限に生きられない生身の私は今何…
先日、実家に帰ってきました。冬の農地に面して立っている近所の家は冬の午後の日を受けながらひっそりとしており、庭の南天には赤い実がついていて私は、年末休暇で帰省しているような錯覚を覚えました。
学校を卒業する少し前、担任の先生が黒板に英語で「志を持ったところに道がひらける」と書いて、私たちへのはなむけとしました。その後、一人で生きてみて、自分の思わないことは決して起こらないことに気がつきました。人生は自分が作っているのですね。
夕方のスーパーで流れていた知らない曲の一部を多分出鱈目に口ずさみながら帰宅。耳に入ったメロディーの覚えやすい部分が頭に張り付いてしまう癖があります。
初めて月食を見た日、昇ったばかりの円い月を見てそわそわしていた。寒いベランダで時計を見ながらスケッチし、眠気と闘いながら経過を追った。大体様子が分かると疲れが出て、寒い場所で月を見ているのが辛くなって来た。
地図はあっても敢えて調べず、地形や方角を見ながら歩いて、道を辿っている中で発見したものは印象深くてよく身につくし面白いと思います、目的地までの時間を気にしなくても良いならば。
一つ前とその前の休日に半日ずつの仕事が入ったため、久しぶりの完全な休日になりました。家にいるのが惜しい好天だったので歩きに出たところ、町の様子はすっかり秋になっていました。写真はありません。
車が水はねさせながら走り去る音、階下でまだ起きている方が立てる物音、隣家に帰った人が扉を閉めた音、部屋の家具が軋む音、目覚まし時計の秒針の進む音を聞いています。
一つ前の台風が、川辺の草むらに大量の植物の屑を置いて行き、草むらはそこだけ凹んで、敷物で覆ったようになっていました。先日の台風は植物の屑をみな下流へ運び去り、後には倒伏した草むらが残りました。
今日も雨が降ったり止んだりの天気。洗濯物は屋内に干し、外出は少なめに済ませ、また明日から新たな一週間を始めます。電気カーペットを出してきました。